何かを書き留める何か

数学や読んだ本について書く何かです。最近は社会人として生き残りの術を学ぶ日々です。

Curriculum Vitae of XaroCydeykn

Curriculum Vitaeと呼ぶには何かが欠けている気がするが気にしない。

各種アカウント

  • Twitter 何だかんだ学生時代から続けている。ある意味20代の歴史である。
  • Mastodon 流行りだしたので作って放置していたが、一応生きている。
  • misskey.io にわかに流行りだしていたので作ってみた。

Twitterに限らず、複数アカウントを同時に使ったことがないので、どうやって使い分けたらいいのかがわからない。

監訳

技術書査読

2016年

2017年

2018年

2019年

2020年

2021年

2022年

2023年

外部発表

2016年

  • PyConJP で感じる私の成長」PyCon JP 2016 Day1 Lightning Talk

受付後にLTの募集枠が空いていたので深く考えずに登録した。 卒論・修論発表で培った(?)勢い重視の発表で中身の薄さを乗り越えた。 最初のPyCon JPは怖い、という話はある程度共感を得たようである。

2017年

当初は話を聞くだけのつもりであったが、Python 3.6の新機能を調べるうちにメタクラスの部分の置き換えができることに気づいたので発表した。

中身のない概要から如何に内容を絞り出すか、と苦戦した発表。 技術書に書かれていることだけでは難しく、実践を伴わないと意味のある発表にするのが難しい。

  • Respect the Built-in Names」PyCon JP 2017 Day1 Lightning Talk

Reject Conから評判の良かった内容を抽出して膨らませたLT。 意外と琴線に触れる内容だったらしく、アンサーLTまで登場した。

  • 技術書査読・校正の現場から」BPStudy #123 Lightning Talk

間違い探しLT。 筆者も意外といい加減なことを書いているのでそれを検証しつつなんとかするのが査読や校正の役割である。

2018年

  • レガシーDjangoアプリケーションの現代化」DjangoCongress JP 2018 Talk

2017年8月から参画したプロジェクトの経験を元に架空のプロジェクトという見立てを用いて話を作った。

SymPyで学んだことを整理するために発表した。 題材として学部1,2年でやるような数学を選んだつもりだったが、気付いたら整数論も入っていた。

2019年

正しくはQuerySetではなくDjango ORMの失敗談。 PCを持たないのにその場で登壇を決めてしまったので会社の同僚にPCを借りて急ごしらえでスライドを作成した。

ピタゴラス数と無限降下法について勉強して話した。 無限降下法の実装は手探りで証明を理解しつつやったので中々に面白かったのだが、それが発表者に伝わったのかは神のみぞ知る。

2020年

  • 君はcmathを知っているか」PyCon mini Shizuoka 2020 Talk

cmathモジュールの可能性を模索した。 当初の予定はマンデルブロ集合が到達点であったが、冷静に考えてcmathである必要性を感じなかったので、離散Fourier変換と信号処理という電通大の学部3年でやる基本的なテーマを引っ張り出した。

ioモジュールのインメモリーストリーム(StringIo, BytesIO)の実用例を発表した。 BytesIOの中でさらにZipfileを開くという込み入った実装がちょっと気に入っている。

2021年

完全なる一発ネタ。 気軽にPythonを使っていいんだよ、とか気軽にLTやっていいんだよ、というのがテーマであった。 PyCon JP 2021のTwitterでこのLTを元にしたツイートがあって感動した。

  • 組み込み関数powの知られざる進化」PyCon JP 2021 Talk

pow関数に突然追加された機能について数学的な背景を説明した。 数学科でも、情報系でも扱うようなテーマなので、案外みんな知っているのかもしれない。

2022年

  • 残念ながら、1回も登壇せず。書籍作業を優先していたので発表にまで手が回らない状況であった。

2023年に読んだ本

雑な読書記録

買っても読まず、読んでも特に記録を残さずに思い出に残らないので、年単位で読んだ本と簡単な感想を残しておくことにしよう。 いつも、書評を書こうと思い立つもすぐに断念してしまうので「簡単な感想」にとどめてそのハードルを下げるのが目的である、と言っておきながら4年目である。 過去のリストは以下の通り。

特に役に立たない自分のための記録であるので適当に読み流してほしい。

田川建三新約聖書 訳と註 第三巻 パウロ書簡 その一』

sakuhinsha.com

パウロ書簡のうち、テサロニケ第一、ガラティア、コリントス第一、コリントス第二の日本語訳と注釈が書かれた本である。 本の大半は注釈であり、本文の訳も相当注意深く行われているが、やはり田川訳は注釈が楽しい本である。 『新約聖書 訳と註』でも初期の刊行なので比較的、注解に関する記述は抑えめ(未発行の概論に委ねる箇所が多い)だが翻訳に影響する箇所では根拠を交え論述している。 第三巻で取り上げられたパウロ書簡はいずれもパウロ本人が書いた書簡で、口述筆記のせいか、ご本人の性格のせいか、同一書簡でも食い違う箇所があったりするのが生々しい。 パウロの考えを知る上ではガラティア、性格やら人柄を知るにはコリントス第一、コリントス第二が良いだろうか。 宗教的な到達点はやはりローマ書簡であり、これは第四巻で扱われる。

購入したのは3, 4年前ぐらいで第一巻(マルコ、マタイ)、第二巻上下(ルカ、使徒行伝)、第六巻(公同書簡)は読んだが、パウロ書簡は(なんとなくヤコブ書の影響を受けたのか?)後回しになっていた。

鈴木忠平『虚空の人』(文藝春秋

books.bunshun.jp

筆者買い。 副題の「清原和博を巡る旅」にある通り、清原和博が逮捕されてから執行猶予が明けるまでの4年間のノンフィクション。 清原本人への取材や彼を支える人々、かつて彼に関わった人々への取材を通して清原和博の内面に迫ろうとした本である。 執行猶予が明け、新たな、希望に満ち溢れた生活が...のようなわかりやすい、ハッピーエンドのような話ではなく、かと言って完全に終わってしまったんだな、という訳でもなく、読んでいて一体どこに着地するのか全く分からない、読了後もなんともすっきりとしない本である。 すっきりはしない本だが、本を持つ手を離させず、ぐいぐいと引き込まれる文章はやはりよい。

呉座勇一『『鎌倉殿の13人』で学ぶ日本史』(講談社

bookclub.kodansha.co.jp

筆者買い、かつテーマ買い。 電子書籍限定、というよりは現代新書のWebサイトの連載をまとめたもの。 昨年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の時代である平安末期から鎌倉初期にかけての歴史解説本である。 『鎌倉殿の13人』はもちろん、同著者の『頼朝と義時』の副読本としても読める。 内容はドラマの1, 2話を区切りに劇中で描かれた出来事の解説や史実(資料)との違いなどの解説である。 1年間熱心に見てきたドラマだけあってこの書籍も面白いし、『鎌倉殿の13人』も史実や資料からそこまで離れずに作劇されているというのもなんとなくわかった。 読もうと思えばWebの連載で読めるので購入する必要はないかもしれないが、筆者への労いも込めて購入して読んでみてほしい。

加藤隆『旧約聖書の誕生』(筑摩書房

www.chikumashobo.co.jp

ちくま学芸文庫だが、読んだのは電子版。 旧約聖書の中身、つまりどういうことが書いてあるか、ではなくて、旧約聖書がどのようにして成立したか、というのを説明する本である。 聖書はありがたいことが書いてあるんですよ的な本ではない。 旧約は創世記から始まるが、歴史的な流れに沿った説明で、まずは出エジプト記の元になったエジプトからの脱出から始まる。 分裂後の北王国の滅亡と坩堝政策、南王国のバビロン捕囚を経て古代イスラエル宗教とも呼べる状態から、アイデンティティを保つために今日のユダヤ教に変化する、というのは過去に読んだ『ヤバイ神』と概ね似たような流れである。 当時の戦争は神同士の争いでもあった。別に神様同士がステゴロで戦うのではなく、自分たちの神が勝たせてくれるから、勝利したほうの神が勝つ、という論理である。 その論理だと北王国の滅亡やバビロン捕囚を経たユダヤの神は負けたのでは、という話になる。 そこで、アイデンティティを保つために神が負けたのではなく自分たちに悪いところがあったんだ、という風に論理をすり替えるというか、考え方を変えていく。 その過程で旧約聖書を形作る伝承や資料がでてきて、筆者の仮説だがペルシャ帝国の政策によってユダヤ人を律する法典を求められて、そこで複数の資料や伝承を組み合わされて(旧約)聖書と呼ばれるものができた、という流れ。 旧約聖書の成立をペルシャ帝国の裏付けという政治的な要因から説明しているが、その根拠というか想像の理由にあるのがペルシャ帝国のエジプト統治の手法においている。 それは、ペルシャ帝国がエジプト王朝を断絶させず、継続した王朝としたから、というものである。 説明としてはわかるが、せめてペルシャ帝国側の資料、たとえばパピルスとか石板とか粘土板みたいなものが発見されればよいのだが。

加藤隆『『新約聖書』の誕生』(講談社

bookclub.kodansha.co.jp

講談社学術文庫だが、読んだのは電子版。 新約聖書の中身、つまりどういうことが書いてあるか、ではなくて、新約聖書がどのようにして成立したか、というのを説明する本である。 『旧約聖書の誕生』の続きのようなテーマだが、そこまで関連性はない。 新約聖書というよりも、初期キリスト教というか、紀元前後あたりの歴史や政治的な動きを中心に新約聖書という書物が成り立つまでの流れを推測を交えて解説する本である。 イエス自身は特に新たな宗派や宗教を立ち上げたというよりは言わばユダヤ教の熱心派のような動きをしていた、という考察は面白いと思った。 その後、ユダヤ教ナザレ派とでも呼ぶべき集団となり、ユダヤ戦争を経てユダヤ教ファリサイ派が中心となってキリスト教へと分離し、マルキオン聖書がきっかけで聖典をまとめようという機運が...というのが雑なまとめになるだろうか。そこそこのページ数はあるが意外とすぐに読めた。

有隣堂YouTubeチーム『老舗書店「有隣堂」が作る企業YouTubeの世界』(ホーム社集英社

www.shueisha.co.jp

神奈川県横浜市伊勢佐木町に本店がある有隣堂YouTubeチャンネル「有隣堂しか知らない世界」のチャンネル開設時から登録者数20万人達成までの流れを担当者が振り返る本。 合間に出演者や有隣堂社長、プロデューサや中の人のインタビューが挟まる形式。 有隣堂は高校時代に横浜に行く際は大抵ジョイナス有隣堂に向かっていた(横浜そごうにある紀伊國屋にも行っていたが)。 また、高校の図書室の買い出しで伊勢佐木町の本店にも行ったことがある。 司書教諭が本店の向かいにある喫茶店でお茶をおごってくれたのを覚えている。 「有隣堂しか知らない世界」は企業のYouTubeチャンネルとしては異色で宣伝色がほぼなく、有隣堂のスタッフや出版社の編集者、食品会社の社長などが各々好きなものについて語る構成になっている。 確か、Twitterで「有隣堂YouTubeチャンネルが面白いぞ」という話を見かけて見始めた。 当然、有隣堂は知っていたので見てみたら、テレビ神奈川でやっていたsaku sakuのフォーマットでびっくりした思い出がある。 有隣堂の社員と外部のスタッフであるプロデューサや中の人の間の信頼関係が強く、それが「有隣堂しか知らない世界」の面白さの土台になっている、というのが本を読んで感じた要素である。

バート・D・アーマン『書き換えられた聖書』(ちくま学芸文庫

www.chikumashobo.co.jp

新約聖書の本文批評の専門家による新約聖書の写本や聖書の改変・改竄の歴史についての本。 文庫化前の邦題は『改竄された聖書』であり、よりストレートな書名だったが、文庫化の際に改題した模様である。 西洋における活版印刷グーテンベルクを待たなければならず、それまでは人の手によって聖書の写本が脈々と受け継がれていった。 つまり、手作業によるミスは発生しうるのである。 また、偶発的なミスではなく意図的に書き換えたり加筆削除したりして作業者やそのグループの考えや意図を本文に入れるということも行われた。 著作権もない時代ならばそんなこと当たり前だと思うのだが、聖書の場合はそう簡単には片付けられない問題なのである。 筆者は元々アメリカの福音主義(たぶんファンダメンタリズム?)の立場から聖書研究を始め、次第にその考えに疑問を抱くようになり...という筆者の「告白」が長いまえがきにある。 筆者が至った結論は個人的には普通であるのだが、福音主義という立場から学術的なアプローチから疑問を抱いてその結論に至るというのは非常に感銘を受けた。 写本に関する基本的な知識は田川建三『書物としての新約聖書』でだいたい知っていたので新たな発見!というのはなかったが、非常に面白く読めた。 マルコ1章41節の考察は面白かった。イエスは憐れんだのか、怒ったのか。 意味的な考察は注解書を読まないとわからない(ので田川建三『マルコ福音書 上巻』の該当箇所を読んだ)が、本文は「怒った」なのだろう。

バート・D・アーマン『キリスト教の創造』(柏書房

www.kashiwashobo.co.jp

新約聖書やその外典、偽典に関する一般向けの本。 副題は「容認された偽造文書」という刺激的なものである。 ここでいう偽造とは、筆者自ら著者名を偽ったもので、マタイのように後から筆者をあてがわれたものについては偽造とまでは言っていないが、擬似パウロ書簡やペテロ書簡一・二についてははっきり偽造と言っているのがすごい強気であると感じた。 まあ、著者名を偽って自説を広く伝えようとしたのだから偽造である。 本文は、古代における文書偽造の立ち位置(当然、悪いこととされていた)、ペテロやパウロの名前で生み出された文書について、現代の護教的な立場からの説明への反駁、ユダヤ教や異教徒と戦うための偽書など、新約聖書には著者名を偽った文書が収められていることを根拠を示しつつ説明する。 筆者曰く、使徒行伝もルカまたはパウロの伝道旅行の同伴者を騙った偽書である、と結論付けていたが、個人的には違うと思う。 無理してパウロを持ち上げる必要もないと思う。 持ち上げたくなる理由も一応わかるのだが。

高田裕美『奇跡のフォント』(時事通信社

bookpub.jiji.com

UDデジタル教科書体の開発者による開発秘話。 筆者が書体デザイナーになる前(高校時代)から話が始まり、師匠との出会い、社会に必要とされるフォント制作などの話題が概ね時系列順に進み、合間に関係者によるコラムが挟まる形式。 UDデジタル教科書体はタイプバンクのフォントであり、開発途中でモリサワに買収されることになる。 書籍の後半ではモリサワと筆者のUDデジタル教科書体の開発を巡る緊張関係が中心であり、ドキドキする内容である。 テーマはまったく異なるが、『老舗書店「有隣堂」が作る企業YouTubeの世界』とある意味では形式が同じである。 現代の明るいノンフィクションはこういう流れが一般的なのだろうか。

『ロバストPython』を監訳しました

ナイルワニの秘密に迫る

2023年3月25日にオライリージャパンから『Robust Python』の邦訳である 『ロバストPython』が発売される。

www.oreilly.co.jp

この度、邦訳の監訳を務めた。 原著の『Robust Python』の存在を知ったのは2021年8月頃、監訳の話が上がったのは2021年10月頃、監訳作業は2022年5月から2023年2月の約10ヶ月であった。

何が書いてあるか

本書ではコードのロバストネスを「絶えず変化しても耐久性が高く、エラーを起こさない」ものと定義している。 また、型ヒントはコミュニケーションの手段である、というのもテーマの1つである。 その意味で、Pythonロバストなコードを書くための本である。

全体で4部構成で、第一部と第二部は型ヒントである。 第一部「型アノテーション」は型ヒントの導入である。 第二部「ユーザ定義型」は第一部を前提にして、型ヒントを設計に生かすともいうべき内容である。個人的に、10章の「クラス」は重要だと思っている。 第三部「拡張性」は第一部と第二部の応用編であり、「型ヒントを設計に生かす」の実践である。 第四部「セーフティネット」は他の部を補完するもので、高度なテストについて扱っている。プロパティベーステストやミューテーションテストについて、日本語でまとまった形で読めるのは今のところこれだけではないだろうか。

監訳作業について

監訳と言っても本によってその役割は異なる。 『ロバストPython』の場合は翻訳に手を入れて精度を高める監修の役目である。 訳語の調整、ソースコードの調整、ローカライズなど多岐にわたる。 個人的に苦労した(?)注釈はP.56にある監訳注である。 普段、仕事とはまったく関係のない、自分の生活とも結びつかないキリスト教の聖書の学術的な研究に関する本を読んだ経験が地味に生かされている。 該当箇所を読んで、すぐに創世記のアブラハムの話や、ヤコブの長子権の話が頭に浮かんだ。 P.325の監訳注も学部で学んだ離散数学の話を持ち込んだ。 同値類の説明にはまず二項関係の話を説明する必要があるのだ。

どこで買えるか

今更「どこで買えるか」という話なのか、と思うが、オライリージャパンさんの本はどこの本屋にでもある訳ではない。 オーム社の常設書店のうち、「オライリー・ジャパンの和書特約店」に限られる。

www.ohmsha.co.jp

近くの書店に売っていなくても、オライリー・ジャパンさんのサイトで電子書籍も入手できる。 また、オライリーのラーニングプラットフォームでも読めるようになるだろう。 ぜひとも、手に取って読んで欲しい。 もし、誤植を見つけたらオライリー・ジャパンまたは僕までメールまたは連絡をしてほしい。 よろしくお願いします。

『SQLではじめるデータ分析』の査読を担当しました

えっ!SQLだけでデータ分析!?

2023年1月26日にオライリージャパンから『SQL for Data Analysis』の邦訳である 『SQLではじめるデータ分析』が発売される。

www.oreilly.co.jp

この度、邦訳の査読者として少しお手伝いさせていただいた。 主に日本語回りのお手伝いである。

タイトルの通り、SQLを駆使してデータ分析を行う本であり、『SQLクックブック 第2版』と同じようにSQLの能力を活かす本である。 対象となるデータベースはPostgreSQLであるが、基本的な考え方はデータベースエンジンによらず通用するだろう。 監訳者の2人が本文中にでてくるSQLを精査して本文の記述と現実の出力結果を比較するなど、監訳の監の文字に相応しい対応を行っている。 また、サポートページも用意されていている。

余談だが、本書の帯にある文句「えっ!SQLだけでデータ分析!?」は僕がネタを出したものである。 たまに見るネットミームに基づいたものだが、本書を読めば「できらぁ!」と答えられるかもしれない。