無何有の郷へ
Pythonには複素数を計算するための函数を収めた標準モジュールcmath
が存在する。
9.3. cmath — 複素数のための数学関数 — Python 3.6.1 ドキュメント
ドキュメントにはこのような一節がある。
mathと同じような関数が選ばれていますが、全く同じではないので注意してください。機能を二つのモジュールに分けているのは、複素数に興味がなかったり、もしかすると複素数とは何かすら知らないようなユーザがいるからです。そういった人たちはむしろ、
math.sqrt(-1)
が複素数を返すよりも例外を送出してほしいと考えます。また、cmathで定義されている関数は、たとえ結果が実数で表現可能な場合 (虚数部がゼロの複素数) でも、常に複素数を返すので注意してください。
複素数に興味がないプログラマ、複素数を全く知らないプログラマはそれぞれ存在するのか気になるところである。
日々の業務において実数向けの数学モジュールmath
すら使う機会がない。最近必要に迫られてmath.cos
を利用したぐらいである。
一方で、複素数に興味があるプログラマ、複素数体が代数的閉体であることを知るプログラマも存在する。
複素数に関するプログラミングにニーズがあるとすれば、電気回路、信号理論、制御理論などのFourier変換やLaplace変換が必要となるエンジニア、正則函数と戯れたい数学者がもつだろう。
しかし、彼らが行いたいことを満たすにはcmath
は力不足である。彼らが必要なのはNumPyやSciPy、SymPyなどの科学計算ライブラリ、Mathematicaなどの専用のソフトウェアである。
帯に短し襷に長し。 興味がないプログラマには不要の長物であり、必要とするプログラマには機能が足りない。
荘子の逍遥遊篇に次の一説がある。荘子が恵子に無用の用を説く場面である。
今、子に五石の瓠あり。何ぞこれ以て大樽を為りて江や湖に浮かぶことを慮えずして、其の瓠落して容るる所なきを憂うるや。すなわち夫子には猶ほ蓬れたる心有り」と。
一見役に立たないcmath
をいかに役に立たせるかが第77回Python Mini Hack-a-thonのテーマであった。
複素数の性質
実数と複素数は似ている要素もあるが違う要素もある。
似ている要素としては、体をなす(四則演算ができる)こと、位相を入れることができる(収束や連続という概念が定義できる)、がある。
位相を入れることができるのでcmath
には指数函数や三角函数が存在するのである。
一方で、決定的に異なる要素としては全順序を定義できない、つまり自然な大小関係を定義できないことである。 Pythonもこの事実を受けて、複素数同士を比較すると例外が送出される。
a = complex(1, 2) b = complex(10, 10) a < b
TypeError: unorderable types: complex() < complex()
異なる性質を持つので、実数と複素数を分けて考える必要がある。
複素数と画像変換
今回は、複素数が実数平面上の点として表せることに着目して、ある種の画像変換に活用することにした。 画像のピクセルを座標とみなして、適当に生成したランダムの複素数を掛け算して画像に何かしらの処理を加える。 画像の枠からはみ出ると面白くないので無理やり枠内に収める処理を入れてある。トーラスっぽくなっている。
import itertools import random import time from PIL import Image image = Image.open("sample.jpg").convert('RGB') size = image.size for _ in range(5): image2 = Image.new('RGB', size) c = complex(random.gauss(0,1), random.gauss(0, 1)) for x, y in itertools.product(range(size[0]), range(size[1])): pixel_data = image.getpixel((x,y)) convert_complex = complex(x, y) * c convert_x = int(convert_complex.real) % size[0] convert_y = int(convert_complex.imag) % size[1] try: image2.putpixel((convert_x, convert_y), pixel_data) except IndexError: pass else: image2.save(str(int(time.time())) + ".png")
複素数と大学入試
実際に興味があったのは複素積分である。 まともにやると手も足も出ない積分が複素積分だと鮮やかに解けるのを学部2年で知った。 それを再体験したいのであるが、どうやってプログラミングで行うのか見当もつかない(線積分となるので)。 そこで、適当な大学入試問題を解くことにした。
2002年一橋大学の入学試験の数学の問2である。 問題文をTeX形式で入力するのは骨が折れるので適当なサイトを参照されたい。
import sympy r = sympy.Symbol("r", real=True, positive=True) t = sympy.Symbol("t", real=True) a = sympy.Symbol("a") f = sympy.Symbol("f", real=True) a = r * (sympy.cos(t) + sympy.I * sympy.sin(t)) f = sympy.im(a + (1/a)) sympy.simplify(f)
最後に解くべき不等式を導くところまでできた。 SymPyで不等式を扱う方法がイマイチ理解できず最後は手計算で解いた。 自分の受けた課程では複素数平面は範囲外であったが、習っていれば高校二年生でも解けそうな雰囲気はある。
結論
現状、複素数を使わない場合はcmath
はmath
をC言語で実装した高速版ではなく複素数向けであることを理解する、複素数を本格的に使いたい場合は科学技術計算ライブラリを検討する、が現実的な解である。まだまだ私は恵子のように固定概念に囚われているようである。