何かを書き留める何か

数学や読んだ本について書く何かです。最近は社会人として生き残りの術を学ぶ日々です。

整理整頓すると仕事ができるようになる?

最近、私の周囲で整理整頓をしましょう、整理整頓が出来る人は仕事が出来る、相関関係がある、という話をよく聞く。 このような正論に何か言うのもはばかれるが、何とも言葉にしがたい違和感を感じている。 その言葉にしたがい何かを文章に起こすことで頭の整理をしたい。

整理整頓が出来る人は仕事が出来る、という主張であるが、これは順序が逆ではないかと思っている。 つまり、「仕事が出来る人は整理整頓も出来る」、という「AならばB」という命題の逆「整理整頓が出来る人は仕事が出来る」、「BならばA」も真であると周囲が信じているからではないか、と。

「仕事が出来る」だと余りにも曖昧なのでそれを「物事を論理的に順序だてて考えることが出来る」に置き換えた命題を考えてみる。 なるほど確かに「物事を論理的に順序だてて考えることが出来る」人ならばその能力を片付けにも活かしてきれいに整理整頓が出来そうである。 一方、身の回りの整理整頓が出来る人が「論理的に順序だてて考えることが出来る」のかどうかは果たして明らかだろうか。 「論理的に順序だてて考えることが出来る」方が1段階難しいように感じるのである。帰納よりも演繹の方が簡単そうに思えるのである。

尤も、命題論理の話に帰着せずに「整理整頓が出来る人は仕事が出来る」を当たり前という言葉を使わずに正当化できると思う。 会社ならば大抵上司なる存在がいて、何らかの査定を行う。査定をするためには評価をしなければ成らない。どうやって? そこで手っ取り早い「身の回りの整理整頓が出来ているか」に着目するのではなかろうか。 自分ではない他人の評価なんて難しい事柄であるが、「身の回りの整理整頓が出来ているか」は見れば明らかにわかる。 そこから普段の成果物と照らし合わせて「整理整頓が出来る人は仕事が出来る」に結びつける、という流れがあるのではないだろうか。 要は妙な揚げ足を取られないように身の回りの整理整頓をしておきましょうね、というこの世を生き抜く知恵として理解することもできよう。 職場によっては、特にブルーカラーの職場は整理整頓の出来が命取りになるかもしれない。 そして、意味も無く白いシャツを着せられて首にネクタイを締めることを強要される僕も、手抜きな評価から身を守るために身の回りを綺麗にするのである。