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何かを書き留める何か

数学や読んだ本について書く何かです。最近は社会人として生き残りの術を学ぶ日々です。

『荘子 外篇』を読んで

荘子 内篇』は学生時代の愛読書の1つであるが、『外篇』は読んだことがなかった。

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何故読まなかったのか。それは『荘子』の成立と関係がある。 『荘子』は内篇7章、外篇15章、雑篇11章の全33章であるが、荘子本人の著作とされるのは内篇のみで外篇、雑篇は弟子や後世の人々の著作とされている。 そのため、荘子本人の思想に拘っていた学生時代は内篇しか読もうと思わなかった。 とはいえ、外篇にも内篇の思想に基づいた寓話や他の思想との交流を踏まえた記述など興味深い話も多い。 そこで今回、通勤時間に外篇を通読した。

荘子』は『論語』を相当読み込んだ上でその精神を批判している。 その中で興味深いものを取り上げる。

孔子、行年五十有一にして道を聞かず。(天運篇 五)

これは『論語』為政篇の一節「五十にして天命を知る」が元ネタである。

幸いなるかな、子の治世の君に遇わざるや。夫れ六経は、先王の陳迹なり。豈に其の迹する所以ならんや。今、子の言う所は猶お迹のごときなり。夫れ迹は、履の出だす所なるも、而も迹は豈に履ならんや。(天運篇 七)

六経は足跡に過ぎず、足跡が大事ではなく足跡をもたらした作用こそが大事であるという老子孔子への返答。思い当たる節がたくさんあって世に広めたい一説。

儒家墨家への批判、『老子』との融合、『内篇』の祖述が中心であるが、やはり『荘子』は面白い。